昔の私は、
よく笑う人間でした。
どんな人とでもすぐ打ち解けて、
知らない人と話してるはずなのに、
なんだか昔からの友達みたいな空気を作るのが得意だった。
人見知りの人には、こっちから一歩近づいて、
無口な人には、無理に距離を詰めずにゆっくりと。
話すことも、黙ることも、
両方とも“好き”でやってた。
だから、接客業を選んだんです。
人と関わるのが、楽しくて仕方なかった。
少なくとも、あの頃までは。
最初に「あれ?」と思ったのは、
人と話すのがしんどくなったときでした。
会話が続かない。目を見れない。
話しかけられても、返事が遅れる。
笑顔が出ない。気持ちがついてこない。
接客って“サービス”なのに、
その全部が“我慢”に変わっていく。
何気ない一言に傷ついて、
些細な態度に腹を立てて、
自分でもビックリするくらい怒りっぽくなっていった。
もちろん、表には出してません。
でも、そういうのって案外バレるんですよね。
「最近、ちょっと雰囲気変わったよね」
常連さんのそのひと言に、
“ああ、終わったな”って思った。
特にきつかったのは、子ども連れのお客さん。
……いや、正確に言えば「騒ぐ子どもを放置する親」が無理だった。
前は、子ども用のスプーンを出して、ドリンクサービスもして、
“子連れ歓迎”の店づくりをしてたのに。
ある時から、全部やめた。
というか、やれなかった。
「そういう客」が来ないように、
わざと冷たくした。
売上が落ちても、仕方なかった。
経営者としては、最悪。
でも、心が死にかけてた私には、それしかできなかった。
人格が変わったわけじゃない。
少しずつ、何かが削れていって、
“笑える自分”だけが、先にいなくなった。
誰にも気づかれないまま、
“誰かのための私”が崩れていった。
もともとは、
「誰かのために笑う」ことが当たり前だったのに。
楽しんでもらいたい。
喜んでもらいたい。
少しでも気持ちよく過ごしてもらいたい。
それが“私の役割”だと思ってたのに、
いつの間にか、その笑顔が一番の苦痛になってた。
反撃のたぬき語録
「“いい人”って、たいてい“都合のいい人”と紙一重なんだよ。」
笑ってる自分が“正解”で、
笑えなくなった自分が“悪”みたいに感じて、
黙ってるだけで、自分が壊れていくのがわかる。
だから、優しさは武器になるし、
笑顔は毒にもなる。
“いい人”っていう肩書き、
それ、ずっと持ってると、
自分を殺すよ。
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