人と関わる事が苦痛

家庭内別居生活が始まる前後から自分の性格が変わっていくのを感じてました。

一番の変化は「人と関わる事が苦痛」になったことです。

接客業をしている身からしたらこれは致命的なことで、必死に修正しようと努力してみたんですが、時間の経過と共に酷くなる一方でした。

自分で言うのも何なんですが、世間一般の人よりコミュ力は高い方だと自覚していて、そのおかげで事業も軌道に乗れたと思っています。

なので、この変化は自分の唯一と言っても良い武器を無くなってしまったことになりました。

職場でお客さんから話かけられても気の利いた返事ができない所か、早く終わってくれないかと会話を切るような言い回しになっていきました。

最初の頃は「体調でも悪いの?」と心配してくれていたお客さんも次第に離れていきました。

自分の中でもこんな事をしてたら売り上げが無くなるとわかっているのに、感情がついてこなくて最悪な態度になってしまいました。

特に小さな子供連れの親子が嫌いになりました。

正確には騒いでいる子供をまったく注意しない親です。

もちろん全部の親子が嫌いなわけではなくマナーの悪い家族に対する拒否反応が敏感になってしまったんです。

以前は子連れの親子を優遇するようなサービスを提供していたんですが全部やめました。

そう仕向けたので当然ですが客数は減っていき、売り上げとしても割と大きな層だったので経営は悪化しました。

業者さんとの付き合いにも溝ができて、有益な情報や品などが手に入らなくなりました。

スタッフとの関係も良くは無かったと思います。

今は別の場所で働いている開業当初のスタッフと会う機会があって

あんまり笑わなくなりましたね?」と言われたとき、毎日が楽しくないんだと改めて認識しました。

”あの人”がいる家に帰るのも苦痛でした。

怖いと言った方が正しいかもしれません。

またあの冷たい視線で見られるかもしれない、否定される言葉をいわれるかもしれない、

嫌がらせをされるかもしれない・・・考えると動悸がするようになっていました。

疲れて職場で横になったまま寝てしまい、朝になってしまった日がありました。

それまで無断で帰らなかったことが無かったので、目覚めた時は良くわからない罪悪感みたいなものがありましたが、すこしの開放感もありました。

一週間に一回、三日に一回、一日おき・・・と家に帰らなくなりました。

たまに帰る家は他人の家みたいで、鍵を開ける瞬間は緊張して手が震えました。

静かにドアを開けて、誰にも会わないようにすぐに小部屋に入りました。

寝るだけに帰る物置部屋。

その日は寝つけなくてずっと今までの事、これから事を考えていました。

涙が流れてきました。

眠れないまま朝を迎えた時にふと「もういいや」と呟きました。

今でも鮮明に覚えてるんですが、その瞬間に心が開放されたんです。

締め付けられてた感情がすーっとっ消えていく感覚で身体が軽くなったんです。

最小限の荷物をまとめて玄関に鍵を置きドアを開け、眩しい朝日を浴びた瞬間に今までの自分は死んだと確信しました。

「人生の主人公は自分なんだから」

ありふれた言葉に少し励まされながら家をでました。

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