人生の主人公に戻る。終


これまでの日々

家庭内別居3年。
言葉も目線も交わさず、ただ同じ屋根の下にいただけの日々。
やがて家に帰らなくなった。

職場のソファーは硬くて体が痛む。寝返りもうてない。
背中の痛みで目覚めることもあった。
それでも、“家にいるよりマシ”だった。

あの”物置部屋”
そこには、布団とわずかな衣服があるだけ。

クーラーは無い、唯一の扇風機は、ある日気づいたら持っていかれていた。
理由は——聞こうと思えば聞けたのかもしれない。
でも、もう無理だった。

顔を見るのが怖かった。
声を聞くだけで、心臓が跳ねるほど緊張して、体が動かなくなった。
聞けなかったんじゃない。体が、拒否していた。

窓を全開にしても、風なんて吹き込まない。
あまりの暑さに寝つけない夜、近くの公園のベンチに座って、

朝が来るのを待ったこともあった。

朝ふと目が覚めて、自分でも驚くほどの感情が溢れてきた。
怒りでも悲しみでもない。

ただひとこと──

「もう、いいよ」

家を出たあの日の空は、びっくりするほどの青空だった。
暑さでジリジリと照らされるアスファルトの匂いと、うるさいほどの蝉の声。
そんな夏の日の朝に、なぜか少しだけ救われていた。

鍵をそっと置いて家を出た。
それは「さよなら」じゃなくて、

あらためて「もう、いいよ」と自分に言ってあげた合図だった。


「いつかは終わる」と信じた時間は、何も変わらず過ぎてく日々。

いままでの自分が死んで、これからの自分が生まれた気がした。

本当に気持ちがいい朝だった。


あれから10年。
店は、あの時、唯一残ってくれたスタッフと二人で続けている。

精神的な不調はまだ治っていない。
接客業なのに、人と接するのがつらい毎日。
それでもなんとか営業を続けてきたけれど、追い打ちをかけるようにコロナがきて、経営はさらに悪化。

最終的には、会社を譲渡し、代わりに資金援助をしてもらうことで、なんとか店を残すことができた。


赤字経営。
それでも、家に送金するお金は自分で借金をして用意した。

全員が社会人になって、送金が終わってから地道に返していく。

あの時、「財産分与はいらない」と約束していたはずの相手は、今になって
「店舗を持ってるなら、その価値の半分を出せ」と言っている。

立ち退き騒動で多額の資金が必要になった時、頭を下げてお願いしても、

説教までして断った人が、

今は「私のおかげなんだから」と価値の半分出せと言ってる。

もうなんの感情もないからいいけど、普通の感覚ではない人だ。

会社名義で購入した店舗はすでに資金援助してもらってる方に譲渡していて、

私自身の財産は“借金”しかない。

そのことを伝えても、信じずによこせ、よこせと。
何も持っていないのに、なにを?

ただ、あきれてる。

結局、今でも離婚できずにいる現状。

早く人生終わってほしいと何度も思った。

昔からの知人とも、開店当初からの常連さんともみんな疎遠になった。

数少ない支えてくれてる人達のおかげで何とか今日を生きている。

恩返しをしなければいけない。

あと二年。

二年経てば、子供が全員社会にでる。

送金が終わったら、今度こそ約束の離婚だ。

やっとあの人との関りが無くなる。

その瞬間を待ちわびる事だけが今は人生の喜び。


反撃のたぬき語録

「もういいよ」って言えた日は、人生が私に“自由”をくれた日だった。


これは「私の今」であり、反撃のたぬきの原点です。

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