「家に帰るのが、一番しんどいって何なんだ」
仕事終わり、日付が変わった夜道を、
ガラガラの自転車で走ってた。
職場から家までは30分ほど。
でもあの頃の私には、
果てしなく遠くに感じた。
“ふつう”なら、家って
帰ればホッとする場所じゃないですか。
でもあの頃の私は、
「帰ること」=「消耗すること」だった。
身体はクタクタなのに、
心が家を拒否してた。
癒しのはずの場所が、
こっちを削ってくるってどういうこと?
家の灯りが見えると、心がざわつく。
「あ、まだ起きてる……最悪」
“あの人”の声も顔も気配も、すべてを感じたくなかった。
公園で時間をつぶした。
静かなベンチに座って、空を見た。
しんどい夜に限って、月ってやたら綺麗なんです。
何も考えてないふりしながら、
ほんとはずっと考えてた。
「今日もあの空間に戻らなきゃいけないのか」って。
灯りが消えたのを確認してから、やっと鍵を回す。
自分の家に帰るのに、完全に泥棒ですよ。
音を立てないように靴を脱いで、
廊下を忍者みたいに歩いて、
呼吸すら気を使ってた。
「この家の中で、“存在しないこと”が一番正解なのか?」
そんな疑問が、夜中に浮かんでた。
ある朝、職場で着る制服だけが洗われてなかった。
たまたまだと思った。
……次の日も、同じだった。
それが、最初のサインだった。
「お前のことは、もう知らない」
そう言われたような気がした。
それからは、自分のものは全部自分で。
仕事前に洗濯、
帰ってきて取り込み、
干す場所は奥のベランダ。
たまに、深夜遅くまで受験勉強してる子どもに会えた。
それが、唯一の接点だった。
ある日、洗濯物が落ちてた。いや、落とされてた。
ぐちゃぐちゃのまま、濡れたシャツが地面に。
風なんか吹いてない。
明らかに、意図的だった。
あれは、きつかった。
それからベランダに干すのはやめた。
寝ている物置部屋に突っ張り棒を付けて、室内干し。
その日を境に、
家の中で自由に使えるスペースがどんどん減っていった。
玄関、トイレ、風呂、寝るだけの部屋。
リビング?キッチン?
そこはもう、他人の領域だった。
かつて子どもたちの笑い声があふれてたリビングは、
今じゃ私にとっては立入禁止エリア。
薄い布団、少しの衣類。
まるでホームステイ中の旅行者みたいに、
自分の家で呼吸してた。
廊下の先から笑い声が聞こえる。
でも、そこに自分の席はない。
輪の中にいたはずなのに、
いつのまにか画面の外側に立たされていた。
この家はもう、“帰る場所”じゃなかった。
ただ寝に帰る場所。
風呂に入って、音を立てずに布団へ。
感情はゼロ、機能だけが残ってた。
心の居場所がないまま、
私は毎晩その部屋に転がり込んでた。
家にいるのに、
どこにも“居場所”がなかったんです。
反撃のたぬき語録
「家庭内別居って、自分が家具になった気分なんです。」
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