”父親らしさ”ってだれ基準?②


「“父親らしさ”の正解なんて、最初からなかった。」

完璧じゃなかった。
でも、ちゃんと向き合ってたつもりだった。

それが伝わらなかったとき、
私の中で何かが、音を立ててズレ始めた。


「もっと父親らしくできないの?」

怒鳴り声じゃなかったけど、
その一言は、沈黙に包まれてナイフみたいに刺さった。

子どもの前で言われた、それが一番痛かった。


保育園に送り出して、
ゲームにも付き合って、ご飯を一緒に作った。

洗濯して、干して、風呂掃除もした。

完璧じゃなかったけど、やってた。


でも、“やってた”は、評価されなかった。

“やらなかった日”だけがカウントされた。


叱られるより、
いなかったことにされる方がキツい。


会話は痩せていった。
ガリガリのダイエット状態。

言葉は単語に、
単語は無音に、
無音はゼロカロリーの沈黙になった。


でもね、
沈黙は、感情のナイフ。

見えないくせに、ちゃんと切れる。
しかも、誰にも気づかれない。

だから余計に痛い。


「父親らしく」って、誰基準?

家にいるのに、居場所は“圏外”。

笑ってる子どもの声すら、
どこか遠くに聞こえた。


話し合おうとしても、

「で、何が言いたいの?」

……いや、それ、こっちのセリフ。


譲っても、折れても、
すり減るのはいつもこっちだけだった。


「大事なものを見失うのって、だいたい“我慢してるとき”なんです。」
反撃のたぬき語録


静まり返った部屋で、
心が静かに、確実に、欠けていった。


言葉をかけるタイミングを何度も逃して、
気づけば、もう何も言わなくなっていた。


壊れたんじゃない。
風化しただけ。

波にさらわれる砂の城みたいに、
ゆっくり、でも確実に形をなくしていった。


私は、なにを守ろうとしてた?

誰を納得させたくて、
誰に期待してたんだろう。


「この生活、いつまで続くんだろう?」

天井を見ながら、
そんな問いだけが、何度も頭を回った。

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